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edit17歳,アスペルガー障がい,感覚過敏 改善体験談

9歳で発達障がい(アスペルガー障がい)を指摘され未知の世界に突入
まず親が変わることが大事だと気付く

17歳,アスペルガー障がい,感覚過敏

大井治くん(17歳、仮名)

9歳まで発達障がいに気づかずにいた

井上祐宏(聞き手/以下、井上):お子さんは今おいくつですか?

大井聡子(以下、大井):17歳になります。

井上:お生まれになったお子さんが、具体的に何か問題が出てきたとか、あれっ変だな、とか感じられたのはいつ頃でしたか?

大井:はい、実はうちの子は言葉の遅れとか多動とかはなかったんです。ところが9歳の時に赤の他人のお母様から、私の息子に発達障がいがあるんじゃないか、と初めて指摘されたんです。

井上:よそのお母さんからそう言われてどう思われましたか?

大井:「発達障がい」ってなんですか?って(笑)。全くの未知の世界にどーんと入ってしまいました。その方に、テストを受ける所を紹介していただきました。

井上:知能検査とかですか。

大井:WAIS-ⅲ(ウェイス・スリー=成人用のウエクスラー知能検査の改訂3版)を受けました。

井上:どんな結果が出たんですか?

大井:成績にでこぼこ、つまり良い悪いの開きがすごくある子だっていうことがわかりました。テストをしてくれた先生がいろいろ説明してくださったんですが、「これだけ開きがあると生きにくいですね」と評されました。
いわゆるアスペルガーの診断で、知能の遅れは無いけれども、出来ることと出来ないことの差が10年分くらいの開きがあると言われました。
それまでは普通の子として育てて、「物知り博士」とかみんなから言われたりしてました。たしかに手を何度も洗うとか、そういうことはありました。でもそれを特に気に留めることもなく、結構すくすくと育っていたのです。

井上:気づかなかったということですね。

幼稚園には行かずバイリンガルで育てる

大井:うちの子の場合、主人がアメリカ国籍だったので、バックグラウンドが変わっています。いつ海外に行くかわからないので、日本語と英語の2か国語で育てたくて家庭教育をしていました。

井上:幼稚園は行ってないんですか?

大井:はい、行っていません。私が家庭教師として、外国籍やハーフのお子さんたちの勉強をみてあげていました。そんな関係で幼児教育には結構力を入れていて、0歳からもうフラッシュカードとか、ドーマン博士のドッツとか、パズルとかで育ててきたんです。

井上:大変な英才教育ですね。

大井:それでテストを受けたら、先生に、「これだけ開きがあれば普通は“二次障がい”といって、心の傷を簡単に受けるほどのでこぼこなので、今までそれが無くスクスク育ってくれたのは良かった。今の環境を保ってあげてください」と言われました。

言語理解力は高いのに、簡単な追唱ができない

井上:でこぼこというのは、具体的には何がものすごく出来て、何がものすごく出来ないんですか?

大井:はい、言語理解が一番良くて、10歳のときに高校生レベルの理解力があり、アスペルガーなのに言語が出来るっていうのは珍しいそうです。でも、追唱、たとえば先生が言った数字「3、5、9…」を繰り返すみたいなのは出来ないんです。
また、6年生になっても、掛け算の7の段が覚えられませんでした。でも言葉や国語能力なんかは、すごく長けてたんです。
大人が見るアメリカのTV番組のサイエンスドキュメンタリーなどは4、5歳からじーっと見てたんですね。私は「意味分かってんのかな?」と思ってましたが、本人はちゃんと理解していたみたいです。

井上:でも、他人が言うのを繰り返せない。

大井:そうですね。聞いているうちに他の方に目がいってしまって、最後まで聞いてないんです。数字に意味を見出せないって言うんですね。「意味の無いものは僕は頭に入らない」と言っています。

井上:通常の会話は出来るんですか?

大井:それは全然問題ないです。もう、ターッと喋ります。だから全然気がつかなかったんです(笑)。その後、彼が10歳半くらいの時に家族で海外に引越しをしました。

シリア人のメール友達の爆死でじショックを受けて、自分の殻に閉じこもる

大井:アメリカに3年間行ってました。そこで、半分学校、半分家庭みたいな私立の小さいミッションスクールに入学したんですが、そこの先生と上手く行かなかったんです。

井上:どんな風にですか?

大井:発達障がいで、彼の持っている不得意なところが出てしまいました。
英語では、文章の一番最初を大文字に変えなきゃいけないことと、ピリオドを打つことが出来なかったんです。彼はどうしても出来ない。でも、先生は不真面目だととったんですね。いつもその2つのことで居残りさせられて。
1年半くらいは頑張ったんですが、もう本人はあそこに行くくらいなら死んだ方がましだというまでになって、行くのを止めました。

井上:それは辛いことでしたね。

大井:もう一つ問題が起こりました。
彼はコンピューターが得意だったので、オンラインでいろんな国のお友だちがいたんです。もともとが社交的でちょっと変わった子なので、内乱状態のシリアの年上の子と仲良くなっていろんな話をしていました。
ところが、その子が爆弾に巻き込まれて亡くなってしまったんです。知人からそのことを知らされてから2か月間食事をせず、オレンジジュースだけで命をつないで、もう死んじゃうんじゃないかとすごく心配でした。

井上:そんなことがあったんですか。

大井:部屋から出てこなくなって本当に自分の殻に閉じこもるようになりました。それで、もう彼の為に日本に戻ろうと決心して引き揚げてきました。

日本に帰ってすぐ、エジソンアインシュタインスクール協会の個人面談を受ける

井上:日本に戻ってからはどうされたんですか?

大井:実は、海外に行く前に、鈴木先生の本をすでに持っていたんです。たまたま知り合いの方が、「この本どう?」って下さって、手元にあったんです。親子面談があるっていうのは情報として知っていたので、日本に帰ってきてすぐにアポイントメントをとって、鈴木先生のところにきました。15歳の時です。

井上:実際に鈴木代表にお会いしてどうでした?

大井:その時は、本人はストレスからだと思うんですが、感覚過敏で光がまぶしいと言って、深~く帽子を被って、無理やり連れて来られたという状態だったんです。私は「帽子を取りなさい」と言ったんですが、鈴木先生は「大丈夫だよ、そのままで」と言ってくださいました。   年齢が上だったので、彼としてはフラッシュカードの内容は知ってるっていう感じではあったんですが、楽しそうな雰囲気にとても和んでいました。私は、これは何か改善のきっかけになるかも知れないと思って、トレーニングセミナーを受けることにしたんです。

子供を追い込んでいた自分に気づく

井上:それでどんな変化が起きたのか、率直にお願いします。

大井:そうですね。私が一番学んだことは、「母親の意識を変える」ということですね。小さい頃は環境も良くて、息子もハッピーで、すくすくと育っていたのに、その頃とは全く違う別人のような息子に対して、私もどう接していいかわからなくて困っていました。すごく心配な顔とか、責めるような言い方とか、そういった対応をしてしまい、息子をどんどん追い込んでいたんだと思います。

井上:そういうことに、気づいたわけですね。

大井:学ばせていただいて、それではダメだと気づきました。まず私が元気にならなくちゃいけないと。

井上:それは素晴らしいことでしたね。そうしてお母さんが変わられたことで、お子さんにどんな変化が起きましたか?

大井:まず本人に、「あ、自分はこれでいいんだ」という気づきがあったと思います。

井上:自分を責めないでいいんだと。

大井:今の状態をとにかくそのまま受け入れてあげるという私の気持ちの変化に、息子はちょっと緩んできたんです。

井上:なるほど。

大井:それで、安心して心を癒す時間と空間が出来ました。心機一転して、帰国子女ということで、1学年下げていただき中学2年生に編入しました。
お友だち関係は良かったみたいなんですけど、やはり感覚過敏なところで非常に苦労しました。
音、光に振り回されて、ストレスいっぱい抱えて疲れて帰ってくるという日々が続いて、結局あまり長くは続かなかったんです。じゃあ、お家でゆっくり休もうということにしました。

井上:それで、どうなりました?

大井:まあ山あり谷ありだったんですけれども、今は大分元気になり、通信制の気に入った高校を見つけて入学して、今年の4月から頑張っています。

アメリカの強制的な予防接種で感覚過敏に

井上:その後、感覚過敏は治まってきたのですか?

大井:前よりは大分軽くなってきましたね。アメリカに行く前には感覚過敏は無かったんです。アトピーや喘息はありましたが、家には白砂糖やお菓子は一切置かなかったので、症状はあまり出なかったと思います。予防接種も受けさせていませんでした。

井上:それはいいですね。

大井:でもアメリカに行った時は事情が違って、予防接種を受けないと出国しなければならなくなってしまうので、仕方なく受けさせたんです。今思い返すと、そこから感覚過敏やこだわり、偏食などが始まりました。

井上:すごい話ですね。予防接種ってどれですか?

大井:全部です。3回に分けて、1回に7~8本受けたんです。すごくかわいそうでした。でも選択の余地はありませんでした。

井上:アメリカはそうだって聞いてはいましたけど、本当なんですね。

東大の異彩発掘プロジェクトに参加

井上:ところで、お子さんは東大の異才発掘プロジェクトに入られたんですよね?

大井:鈴木先生のセミナーの時に、息子にいいんじゃないかということで、切抜きのコピーをいただいたんです。それで応募してみたら「ホームスカラ」という方に採択されました。

井上:それはどういったことをされるんですか?

大井:親のセミナーとか、個別指導、年に2回くらいのキャンプ的なものがあって、教授陣と個人的に会ったり、メールのやり取りをしたりして、本人がその気になれば連絡が取れるような仕組みになっていました。

井上:2年間ホームスカラをやって、いかがでしたか?

大井:はい、本人の意識にも変化がありました。開会式には親子でいろんな方が来られてましたが、その中にはとても奇抜な子がいっぱいいたんですね(笑)。そういうのを見た本人は「僕は僕でよかったんだ」っていう感想をポロッと言いました。

子どもをそのまま受け入れ、可能性を信じ続ける

井上:なるほど。そういう「発達でこぼこ」の高機能のお子さんをお持ちの親御さんたちに対して、大井さんから、今、何か伝えたいこととか、アドバイスとかありましたらお願いします。

大井:はい。まず苦労されているお母様方にとても言いたいことは、「改善を諦めないこと」ですね。お子さんの可能性をずっと信じてあげてほしいし、私もまだ道半ばですけれども、やっぱりお母さんがその子を、そのまんま受け止めてあげる、受け入れてあげるということは、その子の人生を開いていくことだと思います。

井上:大事なことですね。

大井:うちの子の年齢とかタイプとかは、ここでは異色の部類に入ると思うんですが、ここで勉強させていただいたことを自分の家庭に当てはめる努力をしました。
たとえば食事のこととか。まずお塩、油を変え、発芽玄米も取り入れました。なかなか和食を食べない子なので、すごく頭を悩ませました。でも最近は和食に拘らずに、彼が食べられるものの中で、少量でも栄養になるもの、あるいはデトックスになるようなものを、わからないように中に入れたり、工夫しています。
洗剤、石鹸、シャンプー、歯磨き粉も変えました。そういった配慮が総合的に彼の人生の助けになったと思います。

井上:今思い返してみて、一番辛かったことといったら、どんな時のことを思い出されますか?

大井:そうですね。息子の状態が、なんでこうなったのかわからない。その知識が親にあるかどうかです。発達障がいについて、あるいは脳の状態がどういう風になっているかということがわからないと、本当に闇の中で1人ポツンと孤独な戦いになってしまいます。

井上:なるほど。知っててもね、確信がないわけですよね。

大井:そうなんです。私も、いろいろ点在していた情報がつながったのは、本当に鈴木先生のおかげなので、感謝してます。

井上:今日は、どうもありがとうございました。

会報誌『エジソン・アインシュタインスクール通信』33号から抜粋

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