新学期特別企画 実例インタビュー (前半:鈴木昭平の解説付き)

改善インタビュー

念願かなって普通級へ入学も、わずか1ヶ月で「支援級」をスキップして「特別支援学校」を勧められることに!
驚きと戸惑いの中、自分たちの道を選ぶ力をから救ってくれたのは、
「エジソンでんお努力のおかげ!」はたして、その真相とは?

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 鈴木昭平です。エジソン通信をご覧いただきありがとうございます。
 
 毎日暑い日が続いていますが、皆様お変わりありませんでしょうか。久しぶりに通信へ参加いたします。以前よりも通信への露出度が少ないように感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、私、鈴木昭平は、お母さんたちの困りごとやお悩みを解決すべく日々奮闘しています。
 さて、エジソンのインタビューでは、子育ての様々な問題に立ち向かって、それを乗り越えた親御様の貴重なお話をお届けしています。
 今回のインタビューは、保育園や幼稚園や療育園だけでなく、小学校の就学や就学後の学校生活のトラブルなど、3年以上に及ぶお母様の奮戦記の一部をご紹介いたします。
 
 ご紹介の前に、私から少しお伝えしたいことがあります。今回のインタビューは、育てにくさを持つお子さんとその家族が抱える、さまざまな要素を含むインタビューだからです。
 基本的に、子どもの生活基盤は家庭であり家族です。親は子どもの健やかな成長発達を常に願いその時々にできる限り努力しています。
 ですが、子どもの成長発達の過程では園や学校との調整、支援体制の構築など、これまで体験したことの無い、さまざまな困難に直面します。
 
 今回のケースは、ご両親がエジソンとタッグを組んで大きく改善し、一旦は「普通級」に入学した成功例です。しかし問題は入学後に起きました。
 お子様は五感の感覚が鋭い感覚過敏です。改善したとは言え「感覚過敏」をコントロールする「我慢の力」が、まだ不十分でした。ですから神経はとても繊細で、あらゆることに過剰に反応してしまいます。ただし発達特性としての記憶力は抜群です。
 ご両親は、入学前には校長先生や教頭先生に何度かお会いして、子どもの状態をお伝えしていました。先生方は、ご理解のある方々のように感じて少し安心していましたが、入学直後から厳しい現実に翻弄されることになりました。
 
 入学当初から親子で登校でした。お母さんは付き添って授業を見守りました。本を読むのが好きなお子さんなので図書室も大いに利用していました。
 私も驚きましたが、最初の1カ月で学校側から何と、「支援学級」ではなく「特別支援学校」を勧められたのです。
 今のままでは、普通級では指導できない。一方、「支援学級」の定員は満杯なので、これ以上受け入れはできない。ですから、地域の「特別支援学校」に行ってください。ということでした。
 
 普通級に行けてよかった!と喜んでいたのも束の間、突然に降って湧いた難題です。そして本当の問題は、ご両親が一気に「特別支援学校」一択の状態に追い詰められてしまうことにありました。
 心身共に疲労困憊の中、エジソンのカウンセラーや私にも相談がありました。もちろん、「子どもの可能性を信じる」というエジソン・アインシュタイン式のモットーを忘れないことと、「古い常識に囚われないことの大切さ」をお伝えしました。悩みに悩んだ末、ご両親は暗闇の中に一縷の光明を見出すことができたと言ってくださいました。
 
 このインタビューは、決して学校や行政を非難するものではありません。多くの親御様に知って頂きたい「現状」の一つであり「事実」です。育てにくいお子様を必死で、愛情深く、夢を持って育て続けている、一人のお母さんの「真実」の話です。
 私たちすべての大人が、「子ども達をどう育てていけばいいのか」を考える一助になれば幸いです。それでは、インタビューをご紹介いたします。聞き手は当協会の柳生百々子です。
 

エジソン・アインシュタインスクール協会 代表 鈴木昭平

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インタビューを受けてくださったのは、エジソン暦3年の百合子(仮名)ママ。とっても努力家で真面目に取り組む頑張り屋のママさん。(エジソンのママで頑張り屋さんでないママは、お見受けしないように思いますけど…^^)
お子さんは今年(2024年4月)普通級で小学校に入学した祥仁(あきひと:仮名)くんです。
百合子ママは、インタビューの最初に、こんなふうに話してくださいました。

お母さん:エジソンのインタビューでは改善の成功事例が多いですよね・・・。我が家のケースは、とても該当するとは思えません。
でも、エジソン・アインシュタインスクールで一緒に頑張っているお母さん、育てにくいお子さんを育てているお母さんに、こんな家族の話もあるのだと、少しはお役に立てるかなと考えインタビューを受けることにしました。

 

01:エジソンを始めるまでの祥仁(あきひと)くんの様子

聞き手:ありがとうございます。本当に頑張っている「今」のお話を、お聞かせください。皆さんへのエールにもなると思います。では、早速ですが育てにくかったのはどんなところでしたか?

お母さん:はい、生後半年から他の子供より活発で、親子教室などの集まりでは、この子だけ目が離せないほど動き回っていました。一日中と言ってもいいほど、動いている感じです。
夜もあまり寝てくれませんし、私はかなり早い時点で、育児に心身ともに疲れてしまっていました。
今でもそうですが、体力があるというか…。とにかく疲れないのか、じっとしていない子でした。

 

02:祥仁くんは五感が敏感

聞き手:でも、多動という感じだけではないですよね。

お母さん:いろいろなことに興味があると言いますか・・・。

聞き手:祥仁くんは、どちらかというと天才的ですよね。

お母さん:エジソンの鈴木先生やカウンセラーさん、他にも祥仁を見てくださった先生方の中には、「天才肌」と言って下さる幼児教育の専門家の先生は何人もいますが、本当にそうなのかなぁと。私的にはとにかく育てるのが大変で・・・。

 

03:百合子ママは、頑張り屋さん

聞き手:でも、今まで本当によく頑張っていらっしゃる。担当カウンセラーには何度も、「心、折れてます」とおっしゃったようですが、必ず復活されていますよね(笑)

お母さん:鈴木先生や担当カウンセラーさんから、アドバイスいただいたことをとりあえず全部やってはみますが、やっぱり理想と現実は違っていて、心が折れるんです(笑)
例えば「今週は10までの計算をやって、来週20までの計算をやったらいいですよ」って言われても、1週間で10までの計算なんか全然できなくて、それどころか、何年もかかるような感じだったりするんですよね。
一人で焦って、「このままでいいのか」「どうしたらいいのか」って悩んで心配が募る。あ~でも、やっぱり課題をやらせなきゃと思い直してトライするのですが、やっぱりできない。できない日が続くと不安や焦りに苛まれます。そんな時は、主人に当たったりして。それもさらに落ち込む原因になったりします。
それでも諦めずに続けていると、いいタイミングで必ず誰かに出会えるようで、今は本当にたくさんの方に支えられていると思っています。

 

04:百合子ママは挑戦者

聞き手:エジソンに入会して、わりと早い時点で「小川式 心身体操」のモニターに参加されて、そこでも祥仁くんは大きく成長しましたよね。

お母さん:はい。なかなかトイレが外でできずにいましたが、この期間にトイレができるようになりました。最近は書くことができなくて困っていたのですが、宇佐川研のバルンポリンに出合いました。バルンポリンをするようになってから、計算や書くことも以前より嫌がらずにできるようになりました。それから、私がお世話になっているコミュニティーでも、困難があっても諦めず、ひとつひとつ乗り越えてくことの大切さを教えてもらっています。皆さんに支えられ、何とか高望みせずに毎日毎日やっているのですが、「もうダメ。誰か助けて!」という状況になると、不思議に誰かが現れてくれるんです(笑)

 

05:エジソンの発達検査表でDQ値94%!教育委員会から普通級OK!

聞き手:ここまでご両親で普通級を目指して頑張ってきましたよね。

お母さん:はい。年長の後半は必死でエジソンの取り組みを頑張り、DQ値を94%まで上げました。でも、「ひらがな」などは、まだ書けない状態でした。

聞き手:学校や教育委員会との面談も乗り越えて、念願の普通級での入学ができました。今日は入学してからのお話を中心にお聞きしたいと思っています。

お母さん:はい。確かに普通級での入学でしたが、年長の時に小学校からは「入学後は親の同伴をお願いしたい。期間は切らず、お子さんが慣れるまで」と言われました。療育の先生からも「親同伴はよくない」と言われましたし、エジソンのカウンセラーからも心配されたけど、小学校から言われたので仕方なく、最初の1週間だけの予定でした。主人にも1日行ってもらったり、1週目だけ私の母にも仕事を休んで手伝いに来てもらったりしながら、学校生活がスタートしました。

聞き手:実際いかがでしたか?

お母さん:入学はできましたが、これが、もうひどいことになってしまって!
1週間目はなんとか普通学級にいたのですが、突然「1年〇組には行きたくない!」と言い出し、教室に入らなくなってしまいました。原因はよく分かりませんが、他の子供たちの声が嫌だったのか、今思うと先生との相性か…と。

聞き手:1週間で!? それは大変でしたね。

お母さん:2週目からは図書館に行くようになってしまって。教室は嫌だと言って、図書室で自分の好きな本を10冊20冊と自分の前に並べているような状態になってしまいました。それでも給食だけは教室に戻って食べていたのですが、そのうちも給食も教室で食べることを嫌がって抵抗し始めました。こんな感じでのスタートでした。

 

06:母子登校、そして百合子ママの睡眠に異変が!

お母さん:結局、学校からは「毎日付き添ってください」と言われてしまいました。ところが、はじめての環境に加え、今までそれなりに親から離れて療育に通っていたのに、小学生になって、四六時中、私と一緒にいることで頭が混乱したのか甘えもあるのか、まったくいうことを聞かずに授業には参加できない状態が続きました。もちろん、本人も頑張っているのですが…。

聞き手:確かに祥仁くん的には、相当、環境が変わりましたね。

お母さん:そのうち慣れるかと思いましたが、そんなことは全くありませんでした。私が体調を崩しかねないと心配した主人が校長先生に「支援級へ移るので、母親同伴はやめさせてもらえないか」と相談しましたが、「親御さんの同伴は続けてもらいたい」と言われてしまいました。息子は「1年〇組は行きたくないけど、支援級なら行く」というので、お試し支援級を始めました。

聞き手:ここもお母さんが同行するのですか?

お母さん:お試し支援級は、1日1時間だけ、2,3、4時間目のどこかに参加します。でも、私の体力がもたないので、朝からの登校は止めて、支援級に合わせた時間に登校して、1時間支援級で授業を受け、その後は図書室に行き、給食を別室で食べて下校といったスケジュールに組み替えました。

聞き手:保育所に行っていた時よりハードですね?

お母さん:まったくその通りです! 一日のうち祥仁から解放されるのは、放課後デイの2時間だけ! 他の時間は常に一緒です。ついに私が全く眠れなくなり、睡眠薬をもらいに病院に行きました。そこで、私の話を聞いた医師が「それって、ちょっとおかしいね」と言ってくださって。

聞き手:学校がですよね。それでどうなったのですか?

 

07:教育委員会と学校側の見解、そして父親の怒り・・・

お母さん:それで教育委員会に問い合わせてみました。でも、教育委員会の見解は学校と同じでした。校長先生からも「お母さんが、頑張ってくださっているのは、よくよく聞いています。体調に気をつけてください」と言われましたが、「とにかく人がいない。人手不足なので、すみません」と教育委員会に言われました。結局、私が付添わないと祥仁は学校行けないという状態が続いたのです。
「このまま君が付添っていては、祥仁はいつまでたっても自立しないし、甘えがひどくなる一方だ!もう学校には行かなくていい!」と、ついに主人も怒ってしまいました。それでフリースクールや家庭教師を探したのです。

聞き手:祥仁くん、すごく賢いから直感的に大人を見抜くし、自我もしっかりありますからね。ここに「我慢の回路」ができると、鈴木先生が言うようにスーパーチャイルドになるんですよね。それにすごくかわいいですよね!

お母さん:はい。皆さんにそう言われます。親ばかですけど…。今の教育委員会の担当者さんもすごくいい子ですね。お利口さん。それにとっても可愛いって、言ってくれます。

 

08:発達特性の可能性に目が向かない教育現場

聞き手:祥仁くんの器が、あまりにも広大というか大き過ぎて、凡人の私たちには、ほんの一部しか見えないし理解できないから、祥仁くんは大人に対して、すごくストレスを感じているのかもしれませんね。大きな可能性を秘めているのでしょうけど。

お母さん:もしかしたら、そうかもしれません。でも、義務教育の現場では、祥仁のようなタイプは支援級の対象になるんです。しかも「知的」の支援級なんです。学校や療育の先生とかは、絶対に「可能性を秘めている」というような見方はしてくれません。できない子という目でしか見てくれません。

聞き手:そうじゃないと、そういう枠の中に入れてしまわないと祥仁くんみたいな子どもは扱えないのでしょうね。

お母さん:そうなんでしょうね。

 

09:フリースクールにも挑戦

聞き手:ところで、フリースクールはいかがですか?

お母さん:フリースクールは通える範囲を全て調べて、一か所、比較的ここならいいかなっていうところがあったので、今はそこに通っています。
でも高額なんです! 月に10万円以上かかるんです(泣)本来ならば半額なのですが、初日に椅子から落ちて、顔にお岩さんみたいな怪我をしてしまい、一人専属でつけさせて欲しいと言われ、その分の上乗せみたいな割り増し料金ですね…。でも、フリースクールのおかげで、親子でリフレッシュできましたし、小学校に戻りたいという気持ちにつながりました。

聞き手:なるほど…!

 

10:教育委員会の巡回相談員からは、想定外の特別支援学校!?

お母さん:この頃、教育委員会の巡回相談支援という制度で、年度途中に支援級に移る予定の子どもを相談員さんが見に来ました。その頃の祥仁は絶不調状態でした。全くいうことは聞かない、逃亡する、やってはいけないことをあえてする。私も校長先生も頭を抱えたくなるような状態でした。
それで、その相談員さんから出た案は「特別支援学校」へ移ることでした。

聞き手:えっ!? 特別支援学校ですか!???

お母さん:はい。相談員さんから主人と私とで話したいと言われ、話し合いをしましたが特別支援学校を勧められました。
「祥仁君には、すごく合っていると思います!とても手厚い支援と教育が受けられます」とすごく推してくるんです。何の迷いもなく、本当に良かれと思って勧めているといった印象です。

聞き手:はぁ…。

お母さん:普通級の先生、支援級の先生、校長先生、教育委員会の巡回相談員、皆さん、オブラートに包んだ言い方ではありますが、祥仁には「特別支援学校」が合っている的なオーラが全開で、「そこでなら安心して通えますよ」みたいなことを言うんです。「特別支援学校ほうが合ってるよ」と直接的に言ってきた人、間接的に言ってきた人たくさんいます。校長先生、巡回相談員、放課後デイの先生、小児発達外来の医師、作業療法士さん。本当に回りのみなさんから特別支援学校と言われ続けていた感じです。私たちはまさに四面楚歌でした。
ところが、何度も何度も言われているうちに「やっぱり、祥仁には特別支援学校が合っているのかも、こんな苦しくて大変な日々の方が違うのかも。安定した生活の方がいいのかも…」そう、主人も私も思い始め、実際に特別支援学校を見学にも行ったりしました。はじめは怒っていた主人も「もうこの選択しかないだろう。これが最善なのかもしれない」というところまで来ていたのです…が。

聞き手:です…が?

お母さん:鈴木先生と担当のカウンセラーさんにバッサリ、ストップ!掛けられました。「ハッ」としました。「やっぱり、やっぱり、やっぱりね。そうだよね!」と(爆笑)

聞き手:すごい!(爆笑)それから、どうなったのですか?

(後半につづきます)

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