4歳、軽度発達障がい、多動、偏食けんとくん(仮名)の成長(4歳 親子面談受講当時)

けんとくんの経緯

5歳(2010年11月)
エジソンのメソッドで改善指導に取り組む。牛乳をやめたら野菜が食べられるようになる
6歳(2011年 4月)
小学校・特別支援学級へ入学
7歳(2012年 4月)
2年生から国語と算数は交流級(普通級)へ
8歳(2013年 1月)
2年生の2学期から、全ての授業を普通級へ移る希望を出すものの、判定の結果は×。ご両親の訴えで3年生から補助なしで1年間、過ごす希望を出す
9歳(2014年 4月)
小学校4年生から普通級へ

「支援級から普通級へ移ることもできますよ」その言葉を鵜呑みにして支援級へ進んだものの…

聞き手 : 今回、お子さまが見事、支援級から普通級に移ることが正式に決まったとのことで、おめでとうございます!一度は特別支援級に入られたものの、その様子がお子さんにとってあまりに、ハードルが低すぎてこれでは「伸びない」と思われて、そこから学校側と交渉を始められたそうですが…。大変な道のりだったそうですね。

お母さん : まず入学前、「支援級に一度入ってみて、もし周りのお子さんたちについていければ普通級に移れるんですよね?」と確認したら先生方から「はい、移れます」とすんなりと言われたので、「簡単に移れるんだ」という認識でいました。息子が幼稚園の年長の時に、市から「小学校はどのようにお考えですか?」と聞かれ、説明を受けて…。「色々と出来るようになれば普通級に移れますよ」とのことだったので、「じゃあ最初は支援級に入って、それから普通級に移そう」と決めました。

聞き手 : 実際に入学してみて、いかがでしたか?

お母さん : 勉強もついていけてました。ただ、お友達の輪の中に入っていけず、一人で好きなことをして遊んだり、お友達との会話のやり取りなどが苦手で、社会面、対人関係の面が気になるところでした。

聞き手 : 周囲からすると、発達の遅れがあるようには見えず、「ちょっと内気な子」「周囲の会話のテンポについていけない子」という様子だったそうですね。

お母さん : 授業中、ふらふら立ってしまったり、教室を脱走したり、ということは一度もありませんでした。理解は遅いけれど、言えばちゃんとわかるし、支援級の中では一番、手のかからない、勉強も出来る子でした。実際、授業を見学に行くと、暇そうにしているんです。先生も授業がわからない子につきっきりなので…。それが「もったいないな、こんなに出来るのに」と思うようになって。1年の2学期くらいから、先生に「2年、3年になったら普通級に移したいと考えていますので、他の教科も交流級で学びたい」とお願いしました。

聞き手 : 学校側の反応はいかがでしたか?

お母さん : 「わかりました」と言われたので、それ以降は学校任せにしていたら、結局、掃除の時間しか交流級にしてくれていなくて…。うちの学校の場合、支援級の子は1年生から、給食と音楽と体育だけは一般の子と混じって過ごす交流級なのですが、増えたのが掃除の時間だけ。私は、国語や算数の授業を交流級にしてもらいたかったのですが…。

聞き手 : がっかりしましたよね。

お母さん : 2~3か月してそのことに気づいて「え~っ?」と驚いて。私がちゃんと学校側に言わないとダメだと思いました。

2年2学期から全ての授業を普通級で…希望を出したものの、判定員の結果は×

聞き手 : それからはどうされましたか?

お母さん : 2年生から、算数と国語を普通級で受けるようになりました。

聞き手 : やはり、それからさらに伸びましたか?

お母さん : 伸びましたね。やっぱり、支援級にいたままでは学べなかったことも多かったです。普通の子の雑談や会話のスピードも刺激になったし、それを毎日毎日繰り返し聞くことも勉強で。あのまま支援級にいたらせっかくの可能性がもったいなかったと思います。

聞き手 : それからはどうされましたか?

お母さん : 2年生の2学期から「すべての授業を普通級で受けたい、補助の先生なしでお願いしたい」と言ったら、「市の教育委員会へ連絡します」とのことで、一度、市の判定員が息子の授業を見学に来ることになりました。2年生の2学期の11月頃、判定員の方が見学に来られ、1週間後、判定書が出たのでご夫婦で来てください、と言われて市役所に行ったら、紙を見せられて、「どう思いますか?」と。私の方はすっかり褒めるクセがついていたので、「こんなことも出来るんだ。すごい、すごい」と喜んでいたら、一言、「これじゃダメだ」と。

聞き手 : どのあたりが判定員の方からするとダメだと?

お母さん : 「一言で指示が通らない」「授業中、たまに目が泳いでいる」といった点です。「普通の子だってみんなそうでしょ!」と言いたくなるような内容でした。

聞き手 : 「普通級に移るにはこれだけ障がいがあるからダメです」という理由ではないのですね?

お母さん : 判定員の方は「可能性を見てくれないのかな」と感じました。主人も怒り心頭で…。学校によっては支援級に20~30人の生徒がいるところもあるのですが、うちの場合、支援級に4人しかいなかったので、うちの子が抜けると補助の先生も一人抜けなくてはならない、などの事情もあったのだと思います。

聞き手 : そこからはどのような戦いをされたのですか?

お母さん : 主人も怒って、「そんなにうちの息子だけ非難するのなら、クラス全員に知能検査を受けさせて、うちの息子より低い数値の子はみんな、支援級に移してください」と判定員の方に言い放って。

聞き手 : それは、今後、同じような困難に立ち向かう可能性のある親御さんにとって最終兵器になるかもしれない姿勢ですよね

普通級に移すのは、最終的には親の意思最後まで子どもの力を信じてやれるか、が大切

お母さん : 親が最終的に「普通級に移します」と押し切れば、いろいろ言われても結局、親の意向をのんでくれるそうです。なので、親がどれだけ「うちの子は出来るんだ」と信じてやれるか、にかかっていると思います。ただ親としても、「もし普通級に移って、いじめに合ったら…」と弱気になってしまうところもあって…。私も、「いじめは自閉症でなくても普通の子でも起きること」と何度も自問自答しました。ここは乗り越える壁だと。

聞き手 : 親御さんとしてはその先の困難を想像してしまうのは当然ですよね。

お母さん : 正直、ここまで改善すると思っていなかったうちの息子が、大きく改善して、現実に普通の子たちとかかわるのを目の当たりにした時、「やっぱりキツいな」と思ったんです。2年生になって、放課後も普通級のお友達と遊ぶようになると、たまにうちの子の不思議な発言に、おませな女の子から「は?何言ってんの?」などと言われてしまうわけです。その様子を見ると、母親としては心がちぎれそうな思いをすることもあって…。でも、どんなお子さんも、周囲との色々な「いざこざ」があって成長していくから「ここは避けて通れない道だ」と。これは他の皆さんもきっと同じで、改善が進んで定型の子たちの中に入る時、必ずぶつかる「壁」だと思います。

聞き手 : かなり改善が進んだ時、同じようなお子さんを持つお友達に「改善した」と話したら、周囲の反応は冷たかったそうですね。

お母さん : 以前、多動がすごかった当時の息子の状態を皆さん、知らないので、「昔、こんなにひどかったんだよ」「食べ物を変えるとすごく変わるよ」と言っても「へぇ~」と。「食事の除去をやる価値があると思うよ」と言っても「ふぅん」と反応が薄くて…。

聞き手 : お子さまは、牛乳をやめたら野菜が食べられるようになったのですよね。

お母さん : 小学校にあがって、息子の社会面での「あと一歩」が何だろう、と思った時にエジソンの交流会に参加して、そこで、小麦や牛乳が多動の原因になっている場合がある、と知りました。その後、専門のクリニックで毛髪検査を受け普段の食事のアドバイスもいただいて…。「一度、除去食をやってみよう」と、お魚中心のメニューに変えて食事を改善したら、偏食が治って野菜も食べられるようになって。そして、親である私自身の精神も落ち着いてきて、精神面で強くなったと思います。

「補助なしで1年間、過ごさせてほしい」学校側へ願いを伝え、3年生から補助なしの日々に

聞き手 : 判定員の方から却下された後はどのような対応を?

お母さん : 2年生の末に判定員の方ともめて、教頭先生や先生方と再度話し合いをして、うちとしては「普通級に移りたい」旨を伝えました。そして、主人が「これを伝えてくれ」と言った言葉を先生方に伝えました。それは、「何かあっても先生のせいにしないので、とにかく補助は一切なしの方向で、登校から下校まで一人でやらせてみてほしい。まず、やらせてください。それでもしダメだったらその時、また考えますから」と。それを去年の1月に伝えたところ、先生方も「じゃあ3年生からやってみましょう」となって、去年、1年間、補助なしでやってみたのです。

聞き手 : 補助なしでどうでしたか?

お母さん : 初日は心配しましたが、大きな問題はなかったです。「総合」という、グループごとにテーマを見つけて調べものをする授業があるのですが、周囲のお友達とも普通のやり取りが出来るようになったことが嬉しくて。補助なしで問題なく過ごせていたので、3年の2学期頃から、今度こそ、普通級に籍を動かすつもりでお願いしたところ、また同じように判定員の方による授業見学になりました。つい先月の1月のことです。

聞き手 : いかがでしたか?

お母さん : この1年補助なしでやってみて大丈夫でしたし、必要な書類も提出してあるので、形式的なものでした。

聞き手 : 改めておめでとうございます。この3年間を振り返って、大変だったことも多かったと思います。

お母さん : エジソンに出合う前、私自身、ストレスがたまっていって、当時は今より30キロくらい太っていました。まるで別人です。精神的にもウツ状態で、死にたいと思ったことも何度もありました。「こんなに冷たい世間の風にさらされるのなら死んだ方がましだ」と。そんな時うちの母が鈴木先生のDVDを持ってきてくれたんです。

聞き手 : でも思いとどまったのは、やはり可愛いお子さんの成長が見たい、という気持ちでしょうか。

お母さん : はい。鈴木先生の講演を収録した60分くらいのDVDをいただいたのですが見る気力もないんです。私の精神がやられているし、世間を恨むような気持ちで、気分もやさぐれている。2~3か月、DVDは部屋の隅に置きっぱなしだったのですが、ある日調子のいい時に一人で夜中に見たら、先生の本気さが伝わってきて一人、夜中に号泣してしまって…。「とにかく先生に会いにいこう」と。

「鈴木先生に会うまでは死ぬまい!」DVDを見て生きるパワーが湧いてきた!

聞き手 : あのDVDがきっかけでしたか。

お母さん : 先生が心の底から「改善します。大丈夫ですよ」と言い切ってくださるのが一筋の光明に思えて。病院ではただ「様子を見ましょう」としか言われなかったので…。とにかく「鈴木先生に会うまでは死ぬまい! 親子面談までは頑張ろう」と決心しました。

聞き手 : 今、同じような立場の親御さんにアドバイスはありますか?

お母さん : 自治体によって籍の移し方も違うらしいので、どんどん自分で調べることです。あとは、学校との連携は取れても、その上の教育委員会に話が伝わっていないこともあったので、「いつまでに、移したい」という目標があるのであれば親が中心となって自発的に動いて、「これを教育委員会に伝えたのですが先生、聞いてますか?」と確認するなど、学校、教育委員会とのやり取りを積極的に取っていくことでしょうか。そもそもうちのように支援級から普通級に移る前例がなかったためかもしれませんが…。

聞き手 : 今日はありがとうございました。

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